緑と青


二度と交わることはないと、覚悟したはずの“道”は、
しかし、奇妙にも再び交わっていた。
…僕には想像もできなかった“かたち”で。


“誕生日”の贈り物


その部屋を穏やかに通りぬけた風が、彼の色素の淡い髪を、やわらかく揺らした。
その風の通り抜け方が意味するところを、今や彼はよく知っていた。
やさしげな褐色の、音もなく開く大きなドア。
これが、開かれた時にだけできる、特有の風の通り道があるのだ。
…つまりは、人の訪れを囁いてくれる、そんな風。
一日の大半をおとなしくベッドの中で、心穏やかに過ごす、そんな今の生活がなかったら、こんな風があることに、きっと一生気づくことはなかったろうと、彼はふと微笑を漏らした。
ベッドの上で上半身を起こし、借り物の書物を読んでいた彼は、傍らの出窓に置いておいたしおりに手を伸ばした。窓から差し込むまっさらな日の光を白く反射するページの上に、黒々と踊る活字にしばし別れを告げることにし、彼は顔をあげる。
「…いらっしゃい、お嬢さん方。今日もいい天気ですね。」
その昔であれば、“微笑んで見せる”ところであった彼だが。
いつしか、彼女らの姿に、知らず顔をほころばせるようになっていた。
「あ、よかった、イーグル、今日は起きてた…。調子、どう?」
「また一段と顔色、よくなったんじゃない?」
「ノックも無しに、すみません。ご無沙汰しておりました。」
色とりどりに華やかな、鈴の鳴るような3つの音色が、ほぼ同時に響く。
…つけくわえると、“ご無沙汰”とはいっても、彼の記憶が確かなら、彼女らの世界の時間に換算して7日程前にも、3人はこの部屋を訪れていた。
とはいえ、彼もまた、彼女らの来訪を心待ちにしているひとりなわけで。
今や“ご無沙汰”という言葉に、違和感を覚えなくなりつつあった。
「おかげさまで、毎日楽しく過ごしていますよ。
 …ふらふら動き回っていると、心配性な誰かさん達が口喧しくなっちゃいますから、
 ここ数日はおとなしくしているんですけど。」
こっそり目をぬすんで抜け出すのがまた一興なんですよ、と、さながら子どものような笑顔で付け加えてから、彼は部屋の隅で、椅子に身を沈めて午睡をとっている友人に目をやる。
が、彼女らの来訪を知らせようと口を開きかけた彼を、少女のひとりが制した。
「あ、いいよ、起こさなくて。寝かせといてあげて。」
「…いいんですか?」
きょとんと彼は首を傾げて、他称“昼寝仲間”を目で示した。
彼の言うところの一対の“空の青”は、今は瞼の奥に隠されてしまっている。
「そうですわね、今起きてしまわれたら、ヤキモチを妬かれてしまわれそうですものね。」
少女のひとりが鷹揚に微笑むと、
「どこぞの王子さまなんて、風がちょっとこの部屋に来るだけでも、あからさまに不安そうにしているものねー。」
元来面倒見がいいのか、よく周囲の様子を観察しているらしい少女が茶々をいれた(ただし、彼女の場合、自分に注がれる視線に関しては、どうもその観察眼は働いてくれないようであったが)。
と、傍らの二人に促されて、3人のうち最も小柄な少女が、抱えていたトートバッグに手を差し入れて、ごそごそと何かを取り出そうとしだした。
「先週、ザズから聞いたんだ、イーグル、もうすぐ誕生日だって…それで、海ちゃん風ちゃんと…」
お目当てのものをなかなか取り出せずにいる小柄な少女に手を貸してやりながら、傍らの少女が言葉を継いだ。
きれいに切り揃えられた長い髪が、さらと揺れる。
「3人で選んだの。誕生日プレゼントよ。」
贈り物用にラッピングされた箱が、ようやっとバッグの中から姿を現した。
もうひとりの少女が、少しばかり歪んでしまっていたリボンをちょいちょいと直しながら、眼鏡の奥の瞳をやわらかく細めて、彼に笑いかける。
「お気に召していただけると、よいのですけれど…」
リボンを直してもらって誇らしげな姿になった贈り物を、彼は小柄な少女から受け取った。
「ありがとうございます…開けて、いいですか?」
彼の問いかけに、目をきらきらと輝かせた小柄な少女は、紅いリボンで結わえた三つ編みを跳ねさせながら頷いた。
直されたばかりであったリボンが、微かな、さながら衣擦れのような音をたてて、鮮やかにほどかれる。
切り揃えられた髪を微かに揺らして、少女のひとりが“さては、ほどき慣れてるわね”と唸るように小さく呟いた。
「ケーキを箱から取り出すのも、得意ですよ。」
おかしそうに笑いながら彼は応じる。
さして慎重に扱った素振りはなかったものの、包装紙もあっという間に、それはきれいにはがされていた。
「…全然破れてないし…」
あっけにとられたように包装紙を手にとって、“手馴れてるわ…”と再び少女は呟いた。
その重みから、中身はおそらく、郵送するときは“割れ物注意”の印をつけなければならないものだと気づいた彼は、箱を開ける時は慎重だった。
緩衝材をどけてやれば、そこから現われたのは、ティータイムにちょうどよさそうな、ケーキ皿。
「よろしければ、みなさんで使ってください。」
眼鏡の少女が、のんびりと言って笑いかけた。

空の青と鮮やかな緑とが、繊細で、それでいて力強い、新緑の季節を思わせるような、生命の息吹を間近に感じられるような、そんな模様を描き出していた。
5枚組みであるらしいその皿のうち一枚を、穏やかな目をして彼は手に取る。
「綺麗ですね…。」
嬉しそうに、しかしどこか感慨深そうに、彼は呟いた。
…と、突如、彼の頬を、何かが、はらはらと伝った。
それに気づいて、3人の少女がにわかに慌てだす。
「き、気に入らなかった…?!」
「それともどこか、おかげんが…?!」
そうではないと、慌てて彼は首を左右に振る。
「違うんです、嬉しくて…あんまり、嬉しくて…困ったな、最近、どうも涙もろくなってしまって。」
頬を伝った涙を拭いながら、彼は照れたように苦笑した。
「ありがとう、ヒカル、ウミ、フウ。大切に、使わせていただきます。」
微笑んで、慎重な手つきで一度ケーキ皿を箱に収めると、彼はそれを出窓に置く。
代わりに、出窓に置いてあった、先日この部屋に迷い込んだどこかの子どもが置いていった小さな木の実を手に取った。
彼の手が、その小さな琥珀色の実を弾く。
真っ直ぐに飛んだそれは、ピシリとささやかな音を立てて、彼の他称“昼寝仲間”の頬にあたった。
「…それでランティス、あなたはいつまで狸寝入りを決め込んでいるつもりなんです?」
…彼女らの来訪に気づいてはいたものの、声をかけるタイミングを失い“狸寝入りを決め込”みつつ途方に暮れていた彼は。
滅多なことでは人に涙を見せたことのなかった黄金色の瞳の持ち主の、ちょうどいい“照れ隠し”にされてしまったようだと、少しばかり憮然として。
「えっ、ランティス、起きてたの?!」
一対の“空の色”を開いた彼は、素っ頓狂な声をあげた小柄な少女に、苦笑混じりに、不器用な微笑みを向けた。


たとえ掠めるような近くを通りはしても、二度と交わりはしないと、
覚悟したはずの“道”だったけれど。
ところがそれは、予想もしないかたちで。
…それも、ただ交わるだけでなく。
あの時“生きろ”と力強く訴えかけてくれた、ひとりの少女のおかげで。
…やっと、本当にきり拓くべき道が、見えてきたような気がしています。
今はただ。
“生きて”いることに。
こうしてあなたたちと、“生きて”いることに。
僕はただ、感謝、しています。



▼なうかT様の素敵サイト
作者様のコメント
あらためて、イーグル、お誕生日おめでとう。
貴方のおかげで、この一年、
素敵な方々にたくさん出会えました。
相変わらずお世話になりっぱなしのダメ人間な私ですが、
イーグルを通じて出会えた皆様に、感謝しています。




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